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哲学
 ひとは若返える事が出来るか                               

  過去には戻れないが、若返る事は不可能ではないかも?

 一つ例を挙げてみよう。若年にして老いる人もいるが、
反対に高齢でも若々しい肉体で軽やかに活動している人も多い。


 人の脳細胞は約140億あると言われている、そして生涯に使い切る数は約三分の一程度といわれている、約47億。


 例えは消滅の多い人で一日20万と。しても70歳までに51億1千万の計算になり、88億9千万のこる。これだけの脳細胞を全部使い切りつもりで何かに挑戦できたら優れた才能の人でかなりの事を成し遂げる成功者になれる。

 さらに驚くべきは体の組織細胞である、約60兆の細胞からなるといわれている。その細胞が日々新たに入れ替わっているといわれている。

 その証拠に数年前の傷跡が自分では気付かないうちに跡形も無くなくなっている経験をお持ちの方もあると思う、身近な例ではペンキや速乾ボンドなど落とそうと思っても容易に落ちるものではないが、其の儘にしておくと、一日か二日で綺麗に落ちている。

これは毎日古い薄皮が剥がれ、新しい皮膚が再生されている証拠である。


 ここでもう一度整理してみょう、脳細胞や組織細胞は6・7・年間で全て代わってしまうと言われている、と言うことは6・7・年前の自分と現在の自分は、組織細胞の上から考えると別人になっていることになる。

 しかし人は何年過ぎても子供の頃の身長や体重以外、顔も体質も性格も体格もさしたる変わりは無い、中年期の多少の肥満、病気による痩せによるものはべつとして。

 それは何故なのか、ここが肝心な所です。皆さんも一緒に考えてみよう。

 6・7・年で全て変わるのに何故代わらないのか、変だと思いませんか、代わらないままで年々齢と共に老けて行く。

 何故だろう、動物には本能と言うものがあり、以前の状態(現状)を維持しょうとする。

 その為に全ての組織細胞が代わっても、顔も体質も性格も体格も代わらないのではないかと思う。

 そこで現状を維持しょうとする本能の働きを逆手に利用し、維持しょうとする本能の原点をずらしたらどうなるのだろう。

 例えば、七十才の人が私は六十才だと強い意識を持って自分の本能が維持しょうとする七十才の年齢意識を六十才と思い込ませることが出来て、本能が維持しょうとする年齢をコントロールでき、尚かつ細胞が入れ代わる期間保つ事が出来たら、或いは若返る事も不可能ではないと思う。

 さて皆さんはどのように結論されましたか、もし私の考案方を実行し、若返る事の出来た人がありましたら是非私にも教えてください。
夢放浪記川原湯幻想編

 放浪記四、
 
 今回は44年前の日誌を元に書いたもので、本当の記憶は定かではありません。
それに今回は現実のようなもののけにとり憑かれていたかのような事が書かれています。
その為公表するか否か迷いました。が皆様のご要望により思い切って公票にいたりました。
内容は信じて頂けなくても構いません、面白いと思って読んで頂ければ満足です。

 私の母が逝き、季節は巡り、丁度一年目、母の訃報を知らされた時は、
故郷を出る時、母に4遠い所へいくのだから親の死に目に会えないことを、
覚悟して行くように諭されていましたたせいか、
 さほどには悲しく思わなかったのですが、月日が過ぎるほどに在りし日の母の思い出が甦り、何をやっても手につかず、呆然としていた頃でした。


 みどりの公園に赤やピンクのツツジやサツキが彩り、大輪のボタンの花が静かな風に優しく揺れる五月でした。
 初夏の心地よい風に誘われるようにふらりと当ても無く旅にでました。
軽井沢から浅間山の噴き上げる煙を横目に見上げながら、草津温泉へ行きました。


 草津で一泊し、あくる朝湯元の湯の花を採集する所を見学し、バスに乗り国立療養所の前を通り、くねくねと曲がる坂道をおりて行きました。いつしか眠ってしまったらしく、運転手に起こされました。
  「お客さん何処で降りるんですか、もう誰も乗っていないんだけど行き先は、何処。」
 私は重いまぶたを開けて周りを見回しました。
他の客は一人も居ません。
  (どうせ当ての無い旅何処でもいいや)
 と、思いつつバスの外を見ますと、大きな木の下に一かたまりの墓地があります。
その中に真新しい木の墓標が立っていました。


 私は昨年亡くなった母の墓標と思いが重なり、無意識に
  「ここで降ります。」
 と、言ってしまいました。運転手さんは、咳き込んだように言いました。
  「お客さん、この辺りには旅館も民家もありませんよ。今夜の泊まりはどうするんです。」
 私は運転手に言われて、
  (しまった、)
 と、後悔しました。が、
  (言ってしまったもはしょうがない。)
 と、私は後悔しつつバスを降りました。


 私が真新しい墓標に向かって歩き始めますと、バスは走り去りました。
墓標の人は二十四才、名前は幸男さん、当時私より一つ上の男性でした。


 私は墓標の名前を読みながら、今夜の宿の事を考えていました。
その時何時何処から現れたのか私の後ろに品の良い一人の老婆が立っていました。
綺麗な顔なのに何故かひんやりと感じる目をしていました
不思議な事に老婆の立っている周囲が大きな山に囲まれた夕暮れの林の
中なのに明るい中に居る様にはっきり見えるのです。


 老婆は私の顔を見て体を震わせ怯えるように言いました。
  「さ、幸男(さちお)おめー生きてたんかーい、みーんなが死んだー、
死んだーって、言うだ。おらーまんだ葬式は早えーって言っただけどよー。
お目ーの嫁まんでがよー大勢の人と一緒に逝っちまったて云うだーそんでよー。」


 何の事だか訳の分からない私は、黙って老婆の話しを聞いていました。
話を聞いていると、
  (どうやらこの女性の亡くなった息子さんに私の顔が似ているらしい、)
 と、察する事が出来ました。


 老婆はしゃにむに私を連れて帰ろうとします。
私は老婆に言いました
  「私は貴女の息子さんではないですよ。」
 と、何回も言いなしたが、とにかく私をれて帰りたいらしいと、察し、
  (どうせ当ての無い旅、落ち着いたらゆっくり話せばいいか。)
と、何時もの癖が出て、老婆のなすままに着いて行きました。


 暫く歩いていきますと、当時、谷川に木造の橋が掛かり、透き通った綺麗な水が
とうとうと流れていました。谷の両側には広葉樹が生い茂り、耳を澄しますと小鳥の
さえずりが聞こえてきました。なんて長閑な所だろうと、思いました。

 しかしさらさらと流れる川なのにせせらぎの音が聞こえません。
夕暮れになれば小鳥は巣に帰りその辺りの林には居ない筈。


 そんな風に思考しながら歩いていますと何と無く周りの木々や藪の中に、
音も無く、不気味なざわめきを感じ、ふと顔を向けますと何か得体の知れないものの
物陰が右へ左へと飛び交っているように感じ、目を凝らして正体を見定めようとしますと、
異様なほどにキラキラと輝く光だけが無数に 様子を窺がっている様で
無意識に寒気を感じ、ぶるぶるっと身震いをしました。


 橋を渡りますと、2メーター50センチ幅ほどの上り坂が続き
百メーターほど上がりますと、木造作りのひなびた旅館がありました。
旅館に着いた瞬間、ぶるぶるっと再び身震いがでて風邪かなと感じたほどでした。


 老婆は玄関から大声で人を呼びました。
  「利枝ー幸男がーけーったぞー。」


 中から若い女性がエプロンで手を拭きながら出てきました。
女性は私の顔を見て一瞬立ち止まりました。
  「お母さんこの人はー、」
 若い女性は私を見て戸惑うように云いました。


  「利枝なーに言うだー。おめーの亭主の幸男でねーか、
はよーめしの支度しろ、ご馳走ターンと出してくんな、
幸男は朝からなーにも食べてねーだよ。」


 若い女性は亡くなった幸男さんという人の奥さんらしいと、感じられた。
私を湯殿へ案内しながら、
  「母がご迷惑をかけているようで、申し訳御座いません。
宜しかったら母の気持ちが治まるまで御逗留下さい。
ごらんのように山の中で何も御座いませんが、
お酒とお湯とご馳走だけは存分にお持て成しいたします。」


 と、言う訳で、当分厄介になる事になりました。
その夜、おそ着きのお客さんがあり、お客さんが宴会場で食事をしている間に、
老婆が二十人分の寝床の用意をしていました。


 年老いた番頭さんが居ますが、夜更けなので気の毒だからと、起こさないらしい。
私はただ泊めてもらうのも気が引けるとの思いから、
少しでもと布団敷きを手伝いました。


 私の仕事振りを見ていた老婆は
  「やっぱり幸男だった、間違いだったらどうしょうかと心配しただよー、
こんなに上手に布団敷けるんだもーん、素人じゃないよねー、幸男。」


 そう言いながら、遣る瀬無さそうにふーッとため息をつきました。
私には遣る瀬無ないため息の裏にある、心の内が見えたような感じました。


 私には、
  (何かの事情があって、息子さんが死んだ事を認めたくない、
心の葛藤があるのでは無いだろうか、自分の気持ちを納得させる、
きっかけを探していたのでは、それで
偶然に息子さんに良く似た私と出会い、
諦める機会を待つつもりなのでは。)


 と、あくる朝お客さんの靴を磨いていますと、
  「おー若旦那いつ帰ったんだい。おっかさん、ずいぶん心配していたぜー、
あんまり心配かけるんじゃなよー。」


 お客さんが旅立ち、部屋掃除を済しますと、老婆が
  「ひと区切りがついたらお茶でも飲もうよ。」
 と誘いに来ました。御茶を飲みながらの話で感じ取ったのですが、
どうやら二人はは旅館の大女将と若女将らしいと、分かりました。


 他に働いている人は年老いた番頭と飯炊きの年老いた女中の二人と、
忙しい時だけ頼む臨時の女中さん三人で、総勢七人でした。
大旦那は終戦の時、ソ連へ連行され、
収容所の過酷な労働と凍傷で亡くなったと聴きました。


 それから度々親戚知人が尋ねて来ました、その度にお大女将は私の事を
  「息子の幸男は生きていたんだよ。」
 と、大はしゃぎして話しました。


 それから一月ほど過ぎた、ある夜。若女将が、私の寝室に入ってきました。
若女将は幸男さんという人の事を詳しく話してくれました。
  「三年前、結婚式を済ませて一月ぐらいの時、
 大学時代の仲間と申し込んであった海外旅行へ行き、
遊覧船で三十人が死亡し、六人が行方不明という事故に遭い、
遺体の帰らないままの葬式をだし、大女将は息子の死を受け入れることが
出来ないで、放心状態のままで、今日まで来た。
 そんな息子の命日に、そっくりな私が現れた。
私が一緒に暮らし始めると、放心状態も治まり平常心に戻っている。」


と、言う事でした。若女将は言いました。
  「貴方さえ良かったら、親戚知人もお母さんの言葉を信じていることだし、
このまま主人の幸男として私の旦那さんに成ってもいいんですよ。」


 と言いながら私の褥に入り、明かりを消しました。
その後の事は皆さんのご想像にお任せします。


 それから二月何事も無く若旦那の代わりの幸男として暮らしました。
皆に大事にされ幸せな毎日でした。が、ある日ふとした事から、
偽者で居る事が気になり始めました。それは若女将の部屋に飾ってある、
かっての恋人でありご主人である幸男さんの写真を見た時でした。


  「若女将の心には私は居ないのだ。若女将だけではない、
大女将も私が本当の幸男さんで無い事を承知で、芝居をしているに過ぎない。
そして何時の日にか近い将来必ず破滅はやってくる、
それより私の今までの人生はどうなるのだ。
過去を全部忘却なければならない。
私は魂を無くした傀儡にならなければ成らなくなる。
真実の過去を人に話すことも出来なくなる。
故郷の親兄弟、親戚知人の全てが消されてしまう。
いずれこの家で騒動が起き、破滅する。このままではならない。」


 その様に心を決めていた頃、宿泊して旅立つお客さんの靴を磨き、
玄関にそろえていると白髪の僧侶が立ち寄り必死にお経を唱えています。
私は奥の帳場からお金を包んでご僧侶に渡しますと、ご僧侶は言いました。
  「若い人このあばら屋でお暮らしか、何時までもここに居ては大変なことになる。
この屋敷はもののけの住まいじゃ、早い方が良い一刻も早くのーう。」


 私は意を決し、この親子と別れることにしました。
所詮偽者は偽者、自分を失ってはならない。
散々引き止められましたが、私は自分の心の思いを正直に話しました。


 大女将も真実に自分の心のうちを話してくれ、納得して別れる事が出来ました。
それから四十年今振り返れば、惜しいような気もしますが、所詮は未練な夢、
大女将も若女将も今はどうなっている事やら、知る術もない、
それで良いのです。夢の放浪記四終わりです。
続きは又のお楽しみに、(夢美ほうろう)
福祉教育T一小
 今月7日T一小の福祉教育ボランテイアに行きました。私の持ち時間は15分、私の用意した原稿は1時間用の講演物、私は急遽予定変更し、やり方を変えました。方法は講演から質問形式にそれも普通質問は、(子供達から私に、)を(私から子供達へ、)に、を実行しました。質問の前にT一小は昔から優秀な伝統校です。その中でも今年の四年生は特に優れていると聞きました。それで今日は皆さんに特別に大学で勉強する生命と心の哲学を勉強して頂きます。哲学と言うのは心ですから皆さんの顔が一人一人違うように考え方も答えも一人一人違うと思います。皆さんは優秀なのです。深く考えず閃いた事を答えてください。考えがまとまったら手を挙げてください。それでは一問から。
         体育館に集まった子供達、

質問第一(皆さんにとって一番大事なものは何ですか、先生指名して下さい。) あちらこちらで手が挙がり始めました。初めに男の子が元気よく手を挙げ(家族)と、発言私は答えました、「家族、とてもだいじですね。」私はいいました、(先生続けてどんどん指名してください)色んな答えが出ました。続けて出た答えは、(兄弟、心の通じ合う友達、健康、命、)私は嬉しくなりました。これが小学四年生の答えとは、と、私は感動に震えました。これだけ出れば良し。
私は話をまとめました。
「まず第一に健康な体と命と私は思います、健康な体と命がなければ大事な家族も友達との心の交流も守れません。では次の質問に移ります。

質問第二(皆さんにとって大事な事はどうある事でしょうか。)
子供たちの手が方々で挙がります、私はひそかに思いました。「勢いが付いてきた、」と、先生は次々と指名します。勢い付いた子供達は凄い。(家族を守り楽しい家庭にする事、友達との友情を守る事、今は楽しく勉強する事そして立派な大人になる事、生き続ける事、)もう私には子供達の回答に何の不満もありません。
あまりの頼もしい回答にこれが小学四年生の答えかと感動しふと微笑を零してしまいました。そして私は話ました。
「皆さん実に素晴らしい、優秀な四年生とは聞いていましたがここまでとは思いませんでした。それでは私の考えを話します。
まず人は生涯のうちどんな事が起こるか分かりません、今皆さんが健康でも、交通事故など又途中どんな難病があるか分かりません、私のように40半ばで脳梗塞で歩けなくなるか分かりません。がどんな事があっても生き抜く事が大事です。生きていれば哀しみもありますが、皆さんの活動しだいで目標を持てば楽しい事も喜びも沢山あります。では次の質問に移ります。
        子供達を見守る77人の保護者

質問第三(皆さんの心は何処にありますか、胸ですかお腹ですか)
又も手がどんどん挙がります、私は初めから感動の連続です。
先生が次々と指名します。(胸の真ん中の奥にあります、おなかの上の方と思います。)回答がどんどんでます、私は言いました。
「そうです皆さん正しいです。私は親に口答えするとお前はどんな腹しているのだと叱られました。ある時はどんな性格しているのだ胸に手を当ててよく考えなさいと叱られました。」と答えまた。他にもあると思う人いませんか、と続けます。すると又手が挙がり先生が指名します。子供は(心は頭にあると思います。)とこたえました、私は意地悪く突っ込みます。「もう一度貴方に質問していいですか、」子供は(はい)と答えました、私は「なぜ貴方は心が頭にあると思いましたか。」と質問しました。子供は率直に(考えるのは頭の脳だから)と答えました。素晴らしい、感動感動です。そこで私は子供達に話しました。
「実に皆さんは素晴らしい。では私の考えを話します。
皆さんの考えが私と違っていても決して間違いではありません。
「心は脳にあると思います。仏法哲学では人の心は一念三千といって一瞬の間に三千回変化すると言います、人間の脳細胞は 約140数億あると言われています。どうですか今皆さんは私の話を聴いた瞬間色々考えたと思います。140数億と聞いて夜空の星を思い浮かべた人もいると思います。私がラーメンの話をしたら直ラーメンを思い浮かべるでしょう。救急車の音を聞いたらオッ交通事故やったなとか、一瞬一瞬変わります。ぐらぐらゆれたら地震かなって、逃げ出す準備をするでしょう。その様にして心の思いは脳からきます、結果心は頭にあると思います。」では次の質問です。
       子供達がコーラスの準備をしました。

質問第四(皆さんは何の為に勉強するのですか、)私が質問を取り出した瞬間保護者の側から(エーッ)とため息に似たざわめきが聞こえてきました、私は子供達に向かって、「分かる人手を挙げてください。」と、言いますと保護者の溜息を物ともせず続々と手が挙がります。先生は子供達の勢いに煽られるように一声高く次々と指名していきます。頼もしい回答が続きます。(社会人になって偉くなる為、立派な大人になる為、高い月給を貰ってよい暮らしをする為、)ここまで来るともう子供の回答ではありません。
まして四年生では、私は震えるような感動を抑えて話しました。
「では私の考えを話します。皆さんの回答は益々素晴らしくなってきました。皆さんは中学高校大学、中には大学院まで行かれる人もあると思いますが、幾ら高い学位を収めても就職したらその職業の初めから勉強をしなければなりません。その為の基礎を勉強しているのです。先生方も皆さんにどのように教えれば皆さんが全員よい成績でいられるか、皆さん以上に勉強されていると思います。」そこで突然先生に向かって言いました。「先生如何ですか、」と、先生は声高らかに、(はいそうです。)と答えられました。つづいてつぎのしつもんにはいりました。
次の質問を待ち構える天才的子供達

質問第五(皆さんは何の為に生きるのですか、)驚いた事に勢い付いた子供達はとどまる事を知りません。ひっきりなしに手が挙がります。先生が次々と指名します。子供達は(大人になってよい事をする為、私はお医者さんになって一人でも多くの人の病気を治す為、私は立派なお母さんになりたい、会社に入って社長さんになりたい、)もう子供の域ではありません。私は話しました。
「それでは私の考えを発表します、皆さんにはそれぞれ考えも生き方も違います、どんな人でもそれぞれに優れた特徴と才能を持っています。例えは皆とおなじ事が出来なくても、反対にみんなの出来ない事が出来る人もいます。今は出来なくても中学高校に入って急に出きるようになる人もいます。人にはそれぞれ違った才能があります、例えは体が不自由になってもその人でなくてはならない使命があると思います。結果的に人は使命に生きるとおもいます。皆さん一人一人の特徴を活かしてください、皆さん如何ですか。」子供達は納得してくれたようでした。
子供達の素晴らしい発言に満足して帰る保護者

私はこれで良いのだと思いました。自分の考えを追求する所に哲学がある、この勉強を元に一人一人の子供が考える力を持ってくれれば成功ですから。丁度私の持ち時間が終わり、「皆さん本当に立派でした、最高でした。これで哲学の勉強を終わります。」
と言う事でこの日の私の福祉教育は終わりました。
夢放浪日記より
  ルンペン編2
今回は姐御の言い付けでズーさんの故郷へでかけます。
ズーさんの故郷は高郷村。ズーさんは冗談半分に言いました。
  「山の高い所の村だから高郷って言うんだよ。
夢さんおおよその察しはつくだろう。」

 私は半分にしかとっていませんでした。が実際に行ってみると、遠い遠い。
福島県に入り、会津若松を通り、萩野駅から引き返すように戻る、
それから先は山道を走るおんぼろバスしかない。
地元の人に尋ねると、当時バスで走って二時間かかると言いました。

 なれない私は酷い揺れにバス酔いしてしまいました。
高郷村のバス停に着き、運転手にズーさんの故郷の部落のことを
尋ねますと、谷沿いの山道を一里半程歩いた所だと言いました。

一里半とはやく六キロであります。既に四時、
山間の村ではもう薄暗くなり掛けています。泊めてくれる宿もない、
困ってしまいました。バス停の近くの雑貨屋で泊めてくれる
所はないか尋ねますと、
  「この辺りでは駐在さんもないし、むりだね。」
と、あっさり突き放されてしまいました。困った挙句農家を
尋ねますと、私と同年代ぐらいの男性が出てきました。
訳を話しますと、
  「そうかい、そりゃー大変だねい。この辺じゃよそ者は泊めて
くれないねい、ちょっと我慢すりゃ泊めてくれないでもない
所あるけんど、行ってみるけーね、。」

 無理に標準語を話そうとしますから、私は聞き取り辛くて本等の
意味は分かりませんでした。
が、大凡そんな所だろうと解していました。

 私は男性が案内してくれるままに着いて行きました。
歩きながら止めてくれるところの話をしてくれました。
四十代の母親と十七歳の娘がいて、風呂がないから
お湯を沸かして体を洗ってくれる。

 母親を選ぶか娘を選ぶか、好きにしていいが、娘は百円高い。
行ってみると昔の防空壕の跡らしい。

 親子は都会で暮らしていましたが、娘の父親が出兵した
まま帰って来なかった為、父親の郷里を頼ってきたが、
何れも小作農で身内が食べるだけしか収穫がない。

 しかし父親が戻ってきた時、誰もいなかったら、と思うと村を
離れる事は出来なかったと言ったそうです。

 とにかく私は一晩泊まる事にしました。
話に聞いたとおり、母親が尋ねました。
  「私と娘どちらにします。」
 この母親綺麗な標準語で話ます。
私はとっさに答えました。
  「二人一緒がいいなー夕食できるかな。」

 母親は呆れたように言いました。
  「夕食作りますけど、どちらか一人にして下さらないかしら。」
 私は聞いていましたから、
  (客が付いた方が客の相手をしながら、
ご馳走を食べると、)
だから私は二人一緒にと言いました。
  「いいじゃないー、二人分お金払いますよ。」

 母親は安心したらしく、娘にお酒を買いに行かせました。
その間に母親はお湯を沸かしながらお酒のつまみの
料理を作っています。娘が帰ってきて、
母親と二人で私の体を洗ってくれました。

 至れり尽くせりのサービスです、私は思いました。
  (下手な旅館に泊まるより余程いいや。)
 と、体を洗ってもらうと、飲めや歌えの大騒ぎとまでは
いきませんが、かなり楽しくやりました。

 私は酒に弱い方だったので、
何時しか眠ってしまったらしい。

 目を覚ますと娘が朝ごはんを用意してくれていました。
食事を済ますと私は母親にお金を渡しました。
母親は言いました。
  「お兄さんこれでは多すぎますよ、私が六百円、娘が七百円で
1千三百円でいいんですよ。
それにお兄さん全然私達の体抱かなかったでしょう。」

 私は心の中で計算していたのです。
  (旅館に泊まれば一晩二千円は掛かる、ビールを飲めば
つまみ代と共に千円ばかしでは足りないだろう。
この親子のサービスは芸者以上のサービスだ、
姐御にもらった宿泊代は一晩二千円。
千円は自分で出してもいいや。)

 と、私は親子にお礼を言ってズーさんの生まれ故郷へ
歩き始めました。

 ズーさんの家はすぐに分かりました。

 私はズーさんに頼まれたと 言って、娘さんを
会津若松の総合病院へつれていきました。

 医者は医療費の心配をしています。
私は医者に姐御の名刺を渡しました。

 医者は早速電話をかけて確かめました。
女中さんが出たらしく、何か尋ねていました。

 医者は驚いたように私に言いました。
  「先に言って下さいよ、参議院の先生の後援会長
だって恥を掻かせないで下さいよ。

 このご婦人のご主人が、後援会長の秘書の方
なんですね。分かりました。よろしくお伝えください、
せいいっぱ治療いたしますと。」

そんな訳で当座の治療代として、姐御に預かってきた
十万円を医者に渡し、ズーさんの奥さん達の生活費
2万円を渡しました。

 当時の十万円は現在にすると五百万円位でしょうか、
私は役目を果たして帰って来ました。

 そして待ち受けていたのはあの恐ろしい刑事、
湯河原の事件の時、強引に罪を認めさせ、
私を無実の罪に陥れようとした、
あの時の刑事でした。

 私はその顔を診ただけで身震いしました。
そんな私を見て刑事は言いました。
  「やはりなー身に覚えがあるから警察を見ただけで
脅えるんだ、今度は白状させてやるぞ、覚悟して置けよ。」

 その時私は思いました、
  (又かー、)

 その訳は湯河原の時、昼は看守に眠らせないように
言いつけ、夜な夜な眠らせないで攻め立てるのです。

 湯河原の時は
  (このまま気が狂ってしまうのではないだろうか、)
 と、思ったほどでした。

 刑事は仲間たちの見ている前で、
私の両手を後ろに廻し、手錠をかけ腰の辺りをロープで
縛り、引きずるように連行したのです。

 その屈辱は忘れることの出来ないほどです。
現在はその頃とは全く様相が変わり、どの辺りからか
分かりませんが、人通りの多い道を延々と歩かされました。

 今に思えば中央から三方に分かれた木造の
橋が掛かっていたように思います。

 その辺りに公会堂があり、そこから大勢の人が
出てきて珍しい物でも見るように囁いていました。

 その話し声が耳に入ると、悔しさに独りでに涙が零れ
落ちた事は未だに覚えています。

 一回りして警察署に着くと刑事は先回りして
待ち構えていました。刑事は言いました。
  「取調べは今夜からだ、お前たちの仲間に残飯でも
差し入れてやれって言っといたから、死なない程度には
何か餌を運んでくるだろ。」

  と、にやりと笑い言い捨ててどこかへ行ってしまいました。
私は何の咎で逮捕されたのか分かりません。
看守に尋ねますと、
  「わしは任務が違うから分からない。」
 と、答えました。私は訳が分からず、
不安を抱えたままで夜を迎えました。

 晩秋を迎えた留置所は日暮れが早い、
署員達が一人二人と帰って行く様子窺えます。

 誰もいなくなる頃にはあの刑事がやってくる。
私に恐怖がやってくる。
壁にかけてある大きな時計が、
ボーンボーンと7時を知らせます。
コツコツと聞き覚えのある靴音の調子が近づいてきます。
私はぶるぶるッと身震いしました。

 案の定その夜は一睡もさせずに攻め立てられました。
逮捕のわけを聴きますと、
刑事は声を荒げていいました。
  「訳なんて何でもいいんだよ。お前は姉御とか言われる
年増とあの辺りのマーケット廻りしてるんだろ、
訳はそれだけでいいんだ。
そしてお前が店の金を盗んだと白状さえさせれば、
俺の顔が上がるんだ、それでいいんだ、くずやろ。」

 その日の取調べが終わり、刑事はつばをぺッと
吐きかけ
  「けっしぶとい野郎だ。」
 と、出て行きました。

 東の空が白々と明るくなり恐怖の一日が始まり
取調べの前、
  「何でも良いからやったと言え。」
と無茶なことを言いました。その日も終わり、

 あくる朝ズーさんが弁当を届けてくれました。
ズーさんがその時逮捕の経緯を話してくれました。
  「夢さんスカシやった時、弁当配り、仕切っただろ、
あれは古株連の役得なんだよ。食い物の恨みは
怖エーからなー。」

 ズーさんが返った後又恐ろしい夜がやって来ました。
又朝が来てズーさんが昨日と同じように二食分の弁当を
差し入れてくれました。ズーさんが返り又恐ろしい夜が
やって来ると思いながら留置所の隅に小さく
体を丸めて脅えていました。

 夕べ一睡もしていないから、うとうとと居眠りが出てきます。
いつもなら署員が眠らせないように怒鳴るのに、
今日は誰も怒鳴りません。

 夕方近くなってコツコツと足音が近づいてきます。
ハッとして顔を上げますといつもの刑事ではなく、監視役の署員でした。
署員はいいました。
  「あんたも意地悪だねー地元の参議院の知り合いだって
初めから行ってくれればいいのに、最も所長は喜んでいるがね。
柄の悪い刑事を地方へ飛ばす口実が出来たってね。
あんたは感謝状者だよ。」

 ズーさんから私の話を聞いた姐御がてをまわしてくれたのでした。
三日目に釈放された私は、姐御に呼ばれました。

  「夢お前古株連に嫌われたようだね。
ここの仲間にいたら今度はどんな目に会うか分からないねー、
お前ツーの所へいきな、ズーコーお前ツーに紹介してやりな、
私が宜しく言っていたって。」

そんな訳でツーさんに紹介してもらった私は又一方変わった
食生活を始めることになりました。

  今回は姐御の素早い機転で、鬼刑事の恐ろしい責めを
免れる事が出来た私は、ズーさんの案内でツーさんの所へ会いに行きます。

 ズーさんは、私が仲間に陥れられた訳と、警察へ連行された
事の経緯を詳しく話してくれました。
  「夢さん、大人しい連中に勇気を出して、
欲しい弁当を持って行けと言っただろ、あの連中は、
古株連に睨まれたら、あの溜りで暮らせなくなることが怖いんだよ。

 連中には夢さんの親切が身に滲みるほど分かるんだ。
けどなー連中の立場がなー、結局連中を苦しめていたんだなー。

 それとなー、刑事だけど、本当の狙いは夢さんじゃなくて、
誰でも良かったんだよー、夢さんでなけりゃ俺だったかもなー
俺も古株連にはよくおもわれてねーしな。

 本命は姐御の懐なんだよ、あの刑事ずーっと前から姐御の事
探っていたらしいぜー、夢さんが居なかったし、
古株連は夢さんが邪魔だったし、大人しい連中も夢さんの
親切が煩わしいかったから、刑事に売ってしまったって訳よ。

 それをなー姉御はぜーんぶ見通していたんだなー、
さすがー相場師先が読めるんだなー、俺も何時かは
姐御のようによーそーなりてーよ。」
 私はズーさんの話を聴きながら、つくづく反省をしました。
  「そうかー甘かったなー連中に勇気を持たせてやれば、
古株連の寄り残しではなく、自分たちの好きな物を選べるから
喜ぶと思ったのに、逆に苦しめていたなんて、とんだお節介焼きだ。」

 ズーさんは、ツーさんの事も話してくれました。
  「ツーさんはなー、料亭の若旦那なんだよ。
親父さんが亡くなってなー、その上頼みの板前が、
ツーさんと意見が合わず辞めてしまったんだってさー。

代わりに雇った板前の腕が悪くて評判が落ちて、店は左前。
それでなー俺、尋ねたんだよ。

  (若旦那が何でルンペンなんだよ。)
 て、ねーそしたらなー、通りかかった地元のルンペンが言ったんだってよー。
  (若旦那あんたの店味が落ちたねー、)
 て、さー。ツーさんはそのルンペンに尋ねたんだってさー。
  (ルンペンさんはそんなに美味いもの食べてるのかい。)
 ルンペンは言ったんだってよ。
  (若旦那ーなめちゃいけないよ。ルンペンはいろんな店の残飯
焦ってんですぜー、口の肥えた奴はどんな調味料使ったか
分かる奴も居るんですぜー。)

 その一言を聞いてツーさんは、店をおっ母さんと妹に任せて
上京したって訳さ。」

 そこで世話になったのが姐御って訳さ、姐御はなー
  (そんな訳ならここじゃー駄目だ、一流料亭の残飯焦って
綺麗に拾い分け、一品一品味を確かめながら頂きな。)
 てね。」

 そんな話を聞きながら、ツーさんの居る有楽町のガード下にある
ツーさんのダンボールで囲ったねぐらに着きました。

 ズーさんは言いました。
  「この時間じゃ食料調達だな」

 ズーさんはツーさんのダンボール囲いのねぐらへ入り、
  「夢さん入ってまとうよ」
 中に入って姐御の話をしていると、外から私たちの会話に
合わせながら入ってきた男、ツーさんでした。
  「ズーさんよー、姉さん元気かい。噂は聞いたぜー粋な旅人夢さんだろう。
今度ここの餌場で暮らすんだってなー、宜しくな。」
 ズーさんは私をツーさんに紹介すると、築地の溜りへ帰りました。
その後ツーさんにいろんな事を教わりました。

 料亭の残飯の拾い集め方、綺麗な食べ方、それは見事なものでした。
朝早く歩き始め、料亭の板前の若い衆が、夕べの残り物や残飯を、
ポリバケツにあけて運んでくる。若い衆が調理場の勝手口まで運んでくると、
ツーさんに言いました。
  「あと頼むよ。」

 ツーさんは
  「お早う何時も悪いなー。」
 と、言いながらポリバケツを受け取りました。

 ツーさんはポリバケツを持って人通りの少ない所に着くと、
ポリバケツのふたを開け上手に食べ物を拾い上げ綺麗に盛り付けます。

 私は感心しました。
  (まるで一流の仕出屋の弁当のようだ。)
 と、その後、ツーさんと一月ほど朝夕食事を共にし、別れました。

 それは私の通っていた工事現場の仕事が終わったからです。
ツーさんはささやかながら送別のパーティをしてくれました。

 板前の若い衆に頼み、極上の酒と懐石料理の余もの、
私はそれまでに経験したこともない程に美味しい酒、料理でした。

 それから工事現場を五六回変わった頃、石川県の加賀市へ行きました。
加賀市の施設の増築で仕事は、わずか十日で終わり、
次の工事現場へ移ることになっていました。

 私は何時もの放浪の病が出ていました。東京を出る前から、
石川へ行ったら東尋坊と兼六園だけは、行きたいと思っていましたので、
皆と別れ一人だけ別行動をとりました。

 公園へ向かって歩いている時、ふと目に付いたのは、
有楽町のガード下でツーさんと食事を共にしていた頃、
朝夕お世話になった、生ゴミ用のポリバケツが目に付きました。

 私は吸い寄せられるように路地へ入っていきました。
気がつくと無意識にツーさんがやっていたようにハッポースチロールの
容器に目ぼしい料理を拾い集めていました。

 私はその時、
  「ここは築地じゃないんだ、なーにをやっているんだ、」
 と、思いつつ拾い集めた料理に、何となく見覚えのある仕出しに、
嬉しくなり好物の白和えを箸でつまみ味をみました。
私は驚きました。

 柳橋でツーさんが老舗の料亭の料理を試食しながら、
  「これが本当の日本料理だよ」
と讃えた、その時の味そのものでありました。

 私は直感しました。
  「もしやここはツーさん実家では。」

 まさかそーん事ないだろうと、思案しつつ公園のなかへはいりました。
池のほとりを歩いていきますと、内橋亭と書いた料亭らしい建物がありました。

 なるだけ人目を避けるように、ポリバケツから拾ってきた料理を食べながら
ツーさんの事を懐かしく思い浮かべていました。
その時静かな横笛の音が聞こえてきました。

 その音を聞いていますと何かが違うと感じまして、
ふと音の聞こえるほうを見ますと和服姿の女性が、
一吹きしては首をひねりしながら、音を気にしている様子。

 私はその女性の左指にきづきました。
  (笛の音が、かすれたり下がったりしたのは指の怪我のせいか、
包帯の巻いてある左の人差し指は、吹き口から一番近い穴を押さえる指、
しっかり押さえられなければ全部音が外れることになる、)
と、そんな風に思いながら聞いていました。

 何を思ったのか女性は私のところへ来ました。
そして私に言いました。
  「美味しそうね、貴方この辺では見かけない人ね、
私の笛聞いてどう思った。何か気付いた。」

 私はとっさに答えました。
  「人差し指使えなくっちゃ下の指の音は決まらないよねー、」

 私がそう言った時、女性の顔色がさーッと血の気をひくように変わりました。
女性は私の顔を覘く様に見ながら言いました。
  「貴方素人じゃないようね、微妙な音のずれが分かるなんて、
大したものね、何処で修行したの、良かったら私の手伝いしてもらえないかしら、
一度吹いて聞かせてくれない。」

 私は女性の差し出す横笛を受け取り、
  「どんな曲を吹くの」と尋ねました。女性は
  「宮城県のさんさしぐれ吹ける。」
 と言いました。私は笛を手に吹き始めました。

 すると女性は、
  「もう少し静かに、細い音で、緩やかに、優しく。」
 と、言います。

私が一曲吹き終わると、女性は言いました。
  「とにかく私の家へいらっしゃいよ、
お風呂入って着物に着替えて、支度しなくっちゃ。」

 何もかも私が承知したかのように、一人で決め込んでいます。
止む無く女性に言われるまま付いて行きました。

 というより何時もの悪い癖が出たという方が正解かもしれません。
女性は大金持ちの愛人だったらしい、が二年ほど前に旦那が亡くなり、
趣味の横笛を活かして、料亭で影笛吹きで生計を立てていたのです。

 女性の名前は直子といいました。
雨の降る日の仕事の帰り、暗い夜道を歩いている時、小石に下駄の歯が乗り、
転んだ拍子に、雨傘を持っていた左手の人差し指を、どういう訳か
骨折してしまっていたそうです。

 女性に尋ねました。
  「俺は何をすればいいの、」
 女性は言いました。
  「私の変わりに笛吹いて、影笛は照明で姿を障子に映しながら吹くの、
私の影を障子に映し、貴方が笛を吹いてくれればいいのよ。」

 そんな訳で影笛吹きの、影役を務めることになりました。
その夕昏早速料亭へ行きました。そこで意外な人に出会ったのです。
全く偶然でした。料亭の女将に挨拶に行きますと、女将と配膳の打ち合わせを
していた板前は、なんと有楽町のガード下で暮らしていた、ツーさんでした。

 二人で挨拶をした時、
  「おーあんたは夢さんじゃないかー夢さんだろー、懐かしいなー
こんな所まで逢いに来てくれたのかーい、えー、
夢さん嬉しいじゃないかえー、夢さんよー。何処に泊まってるんだーい。」

 私は戸惑いながら答えました。
  「妙な縁でこちらのお姉さんに、やっぱりツーさんの料理だったのですね、
あの白和え。」
  「夢さんもう舌調べしたのかい、さすがだね、」

 私とツーさんの話を聞いていた影笛吹きの女性は、
  「若旦那さん、夢さんの事ご存知だったのですか、
何処で?どんな訳で、夢さんってどういう人なんですか、
いったい?、私には大工さんだって言いましたよね。
横笛は一流だし、料理の味には煩いし。」

 ツーさんは女性の話を聞いて驚いたようにいいました。
  「ヘー夢さん横笛も吹けるの、それは知らなかったなー。
器用な人だとは聞いていたけど。」

 直子と名乗った女性は女将に訳を話し、私の影役の影笛で無事に
その日の仕事を終わり、帰りました。

 そうして一月ほど過ぎました。そんなある日の早朝四時ごろ
ツーさんが女性と私の住む家にやってきました。
ツーさんは私を外に連れ出して言いました。
  「夢さん直ちゃんは何も話さなかったのかい、実は直ちゃん、
大変なことになっているんだよ。」

 ツーさんの話では、性質の悪い流れ者のチンピラが、
直子が元金持ちの愛人で、金持ちの旦那が亡くなり、
一人暮らしで影笛吹きの人気者と聴きつけ、
何とか口説き落として紐になろうとしている。

 そんな訳だから、夢さん直子が好きだったら、
東京へでも連れて逃げるようにしな。
もし関係がないのなら、取りあえず築地の
ズーさんの所へ連れて行き、身を隠させなよ。

 チンピラは流れ者だから精々一、二年で草鞋を履く筈だ。
居なくなったら俺が迎えに行ってやるよ。
と、言うような騒ぎになりました。

 私も丁度良い機会と思い、女性を連れて
築地のズーさんを尋ねました。

 ズーさんを頼りに姐御に頼んでみようと思っていましたが、
姐御は戦争でビルマへ行った旦那が、終戦の時日本へ帰らず、
現地に残り、現地で生産業を興し、成功して更に貿易会社を営んでいる。

 と、言うことで、その頃姐御の手解きを受け、
一流の相場師になっていた、ズーさんに住まいのマンションを買ってもらい、
旦那の住むビルマへ行ったという事で、女性の将来の全てを
赤坂の高級マンションに住む、ズーさん夫妻一家に託し、
私は又放浪の旅に出ました。      
 その十年後、自由ケ丘の高級団地に立った、
豪邸の内装工事をやった時、時々工事の様子を見に来る、
奥様と呼ばれる婦人に会った時、私は肝が潰れるようでした。

その人は私が姐御の言い付けで福島の山奥へ迎えに行き、
娘を入院させた、あの時のズーさんの奥さんだったのです。

 ズーさんはバブルの景気に乗り、当時一流の会社を五社経営する
大実業家になっていたのです。

 奥様になったズーさんの奥さんは私に言いました。
  「主人は夢さんが会社起こすんなら資本を出してもいい、」
 と、言いました。
  「私が会社なんてとんでもない。」
 と、遠慮しました。

 私が連れてきた女性は一年後、ツーさんが、性質の悪いチンピラは
他所の土地へ流れていったと、迎えに来たそうです。
その頃の私は所帯を持ち、硬く暮らしていました。

   ルンペンの巻終わり。









夢放浪記より
 今回はルンペンの仲間入りの巻きです。
湯河原で完璧なまでに絶望した私は、重い悲しみを胸に足取りも
そぞろに、東京のアパートへ帰りました。

 部屋のドアーを開けると、挿んであったのか一通の封筒が落ち
てきました。置いていったのは、 いつも私のことを心配して
いてくれる親方らしい。

 封筒の中には今掛かっている、工事現場の地図と、
(うるさい仲間たちのことは気にするな。)
と、勇気付ける手紙が入っていました。
仕事場が変わるたびに、新たな現場の地図を入れ
替えておいてくれたらしい。 

 心を痛めていた私には、この時ほど人の情が身に
しみたことはありませんでした。工事現場は築地のちかく。
明くる朝早く山手線に乗って現場へ向かいました。

 山の手線に乗るまでには一度乗り換えなければ
なりませんでした。その間幾たびか、赤子を抱いた女性に逢います。
その度に、湯河原で番頭さんに託した悠子の
赤ん坊を思い浮かべ、逃げるように急ぎ足で通り過ぎました。
 
 やがて有楽町に着き、柳橋から築地方面へいそぎました。
サラリーマンの人たちが大勢歩いています。

 私が歩いていると鴉が生ゴミを漁りながら騒いでいます。
横目に見て通り過ぎ様とした時、
後ろから私に声を掛ける人がいます。 
 (へんだなーこの辺りの住人に知り合いは居ない筈だが、)

と、思いながら後ろを振り向くと手提げ袋を下げた男が、
ニコニコしながら走り寄ってきます。
 そして彼は言いました。

  「今日はどっち方面へ行くの。」
 私には意味が分かりません。 

  「どっち方面て何のこと。」

 彼は言いました。
 「とぼけないで下さいよ、どこのスーパー、イイネタ
はいったんでしょ。私はね三越なんですよ。」

 彼は暫く一緒に歩いて、途中で路を曲がりました。

 その日の午後昼の食事をしようと現場を出て、
食堂のある路地を歩いていました。そこに朝声をかけて来た
男が又言ったのです。
  「なるほどその仕度なら汚れてもきにならないや、
あんた考えましたね。ところでお昼食べたの、
その様子じゃまだあり付いてないんじゃない?、
早く姐御ん所いかなくちゃ無くなっちゃうよ。」

 私は話の内容が分からなく彼に云いました。
  「あのー姐御って。」

 彼は言いました。
  「あーあんたどうも見掛けた事ないと思ったら、新入りかい、
名前なんてえーの、俺福島から出てきたばかりで、ズーズー
の訛り酷ーんでー皆がズーこーとかズーさん
なんて呼ぶんだ。よろしくな。」

 なんとも人なっこい男なのでつい悪い癖が出てしまい、
彼のペースに乗ることにしました。
  「実はーまだ昼飯にあり付いてないんですよ、
なれないもんですみません。
それで何処へ行ったらいいんですか。」

 気の良さそうなズーさんは得意そうに言いました。
  「俺一緒に行ってやっから、姐御ってのはなー、
本当はかねもちらしーんだ、気はいいが
怒らせるとやばいぜー、気をつけな。」

 そんな訳で私はズーさんの後を着いて行きました。
そこには首の周りが垢だらけに汚れた男女六七人いました。
その中に四十代に和服姿のしゃきっとした女性がいました。
 一見高級クラブのママかと思うほどの美人でした。
ズーさんは私を姐御に昼食のことなど話、紹介してくれました。

 姐御と呼ばれた女性は、キラキラと輝くような目、
細く濃い眉毛で、後ろにまとめた髪を横へ平らに寝かし。
貝の様にくるくると纏め上げ、綺麗な鼈甲でまとめていました。
  「そうーかい分かった。今日からズーこーお前が面倒
見てやんな、縄張りのことも教えてやるんだよ、
柳橋の連中ともめると厄介だからなー名前なんて言うんだい。
そーかい夢って言うのかいい名前じゃないか、
いいんだ、いいんだよ。本名なんて。」

 そんな訳で仲間入りしました。相変わらずの悪乗りで、
ルンペンの仲間入りした私は、仕事の行きがけに、
ズーさんの居る公園の溜まり場へ行きました。それから五日後の朝、
顔役の姐御に呼ばれました。

  「夢、おまえ仕事にかよってるんだってな、いいんだよ、
野暮なことは言わないよ、ここに来る連中はみんなそれなり
に訳ありなんだよ、まともな者が来るもんかよ。 
だけどな、何にもしないで飯だけ食ってるて訳にゃ、いかねーんだ。
なかにゃ、文句言う奴も居るって事よ、分かるだろ、それでだ、
おまえさんにも今日から仕事してもらうよ。」

 そんな訳で現場仕事が終わった後、姐御に着いて
弁当配りをするようになりました。ルンペンと
テント暮らしは格が違うらしい。ルンペンは
当てもなく食べ物を探し回る。

テント暮らしはダンボールや、
アルミの空き缶やボロ布など拾い集めて仕切り屋へ持っていき、
買ってもらい、生活費を稼いでいる。が、なかなか
思うようには行かないらしい。

 この世界も競争が激しく元気のない高齢者には、
その日食べるだけの食事代が稼げないときが多いそうだ。
その為に姐御はスーパーを何軒も廻り、賞味期限の迫った
弁当など半値以下の値段で買い取るのである。
店の主人も売れ残って捨てるよりは良いとして、買い取ってもらう。

 スーパーの主人たちに神か仏のように有り難がれている。
そんなある日、姐御はお金を忘れたから取りに行くと言って、
私をタクシーに乗せ、走り出しました。

タクシーは
六本木まで行って止まりました。姐御はここから先は着いてきちゃ駄目
と言って、タクシーを乗り換えました。

 私は運転手に後をつけさせました。暫く走ると空き地があり、
レンガ造りの高級なマンションに入りました。そこまで見届けると
急いでもとの場所へ戻り、姐御の帰りを待ちました。

途中でタクシーを降りて例によって弁当を買い集めました。
いつもなら二十二三人分なのにその日は四十人分買いました。

 訳を尋ねますと、午後雨が降ったから、食費を稼げない人が
大勢居る筈だと教えてくれました。

そんな所までルンペン達やテント暮らしの人の事を
考えて、行動している。

 それも自分の金で買い与えている。私は感動してしまった。
姐御は私があとをつけていた事を知っていました。
そして自分の正体を話してくれました。

 実は先物の相場師でかなりの財産家らしい。
弁当を買い集めるのは、庶民の食事情を知る為だそうだ、
どんな惣菜がいつも売れ残るか、季節によって変わる、
など十年以上も統計を調べている。何年後とか先々
の相場が分かるそうです。

 ズーさんは、姐御に習って、相場師になるのが将来の夢だそうだ。
そのころ私の事で揉め事が起こりました。
その原因は私が食べ物を調達したことがない。

 それが原因で私を庇ったズーさんが取っ組み合いの
大喧嘩の末大怪我をしてしまったのです。
私にも「スカシ」をやらせろという事でした。

 (スカシとはマーケットの主人が売れ残って賞味期限の
切れた食品を、惜しみつつ朝早く捨てに来る。捨てた品物を
素早く頂くのである。

 惜しみつつゴミ箱に入れる。主人は後ろを振り向かずに10歩
歩いて静かに振り返る。そのゴミ箱に入れて10歩歩く間に
ゴミ箱から拾い出し、マーケットの主人が振り返るまでに
姿を隠さなければならない。

 正式には (見返りスカシ) と、言うそうだ。
後で聞いた話では、マーケットの主人は、ルンペン仲間が素早く
獲物を掠めることは承知で10歩先まで我慢して振り返らないらしい。
 
 だから姐御は日頃世話になっているマーケットや
スーパをひと巡りして、期限切れぎりぎりの食品を買い集めるのだ
とズーさんに教えられました。

 いよいよ私が試されるときが来ました。
本物のルンペンなら (格好とか、恥ずかしい) なんて言っていられないはずだ。
本物のルンペンなら
  (一度や二度は、ひもじさに死んでしまう。)

 ほどの恐怖を経験している。だから一食の食事を手に入れる
ことに命をかけるほど真剣なのであります。

 その点、私の立場は、彼らに言わせれば(ふざけ半分で
生きているのか、馬鹿やろー。)
と、罵られたとしても是非もない立場であったのです。

 私は姐御に呼ばれました。
  「夢お前もやらない訳には行かなくなったなー、ま、人生ー経験だ
お前風に、楽しむ積りでやってみるか、
いい勉強になるぞー人として大きく成長出切るぞー。」

 姐御の口ぶりですと、私の立場を楽しんでいるように感じました。
早速あくる朝四時おきしてスカシの現場へやってきました。
マーケットの主人が売れ残って賞味期限の切れた弁当やぱんを
段ボール箱に入れて、しぶしぶ歩いてくる様子を覗っていました。

要領は主人が段ボール箱に入れて四ぽ歩いたら素早く
足音を立てないように走り、ゴミ箱から拾い上げ、十歩までに
姿を隠さなければならない。私はスーパーで顔見知りの主人が
惜しみつつしぶしぶとゴミ箱に入れる姿を見ていると、
たまらなくなり、足が動きませんでした。

 しかし食べ物を確保しなければ
七八人分の食事が足りなくなる。私は思い切って飛び出しました。

 素早くダンボールを抜き出すと抜け道の角を曲がりました。スカシは
成功でした。その後で心の片隅にむなしい寂しさがこびりついて、
独りでに涙かはらはらと、とめどなく流れました。何時きていたのか、
姐御が声をかけました。
  「夢、悲しいか、情けないか、侘しいか、スカシをやってでも生きる、
ルンペンの切なさが分かったか、もう二三日人生勉強するんだな。」 

 私はその日一日複雑な気持ちで仕事をしました。
あくる朝も早起きしてスカシの路地へやってきました。 

マーケットの主人が昨日と同じようにしぶしぶと歩いてきました。
 私は申し訳ない気持ちを抑え (こんな気持ちがあるのだから、
いっその事、捨てる前に断って貰っても良いのではないだろうか。) 

 明日は思い切って話してみよう。 

明日を期して、一日仕事をしました。
帰り際ズーさんに話しました。ダンボール小屋で横になっていたズーさんは
  「さーどうだろう。」
と、不安そうに首をひねったまま
  「俺にはわかんねーよ。」
と、答えました。そして反対側へ寝返り口を閉じました。 

 私はあくる朝も同じくスカシの路地へいきました。 
今日もしぶしぶとマーケットの主人がやってきます。
私はマーケットの主人がゴミ箱のふたを開ける前に、
早足で出て行きました。そして言いました。
  「いつもご馳走になっています。それ頂いて宜しいでしょうか。」
 と、 言った瞬間マーケットの主人は顔に青筋を立てて怒りました。
  「ばか者なんで顔出すんだ。お前らー顔見せねーのが
無言のおきてだろー。顔出すんなら買ってくれよ。えー」 

 驚いてマーケットの主人の顔を見ると、悲しそうに目を
潤ませています。私は何も言えませんでした。 

 マーケットの主人は捨てようとしたダンボールを持ち帰ろうとします。
私は慌てて言いました。
  「売ってください全部」 

 主人はきょとんと立ち止まりました。
お金を払い私は弁当を持ってズーさんのところへ行きました。
朝食を食べながら、ズーさんに話しますと、
ズーさんはおもむろに話し始めました。
  「ずつはなー俺も前に同じ事やったことあんだよ。
姐御にこっぴどく怒られたなー。 

 (店の主人は売れ残りだから食べさせてやりてー気持ちはある。
が惜しい。ルンペンが食べ物をスカシた後。
人として悲しいやるせない心を押し殺して食べている。)
そう思うと主人の心は、捨てるのは惜しいが救われる。 

惜しい気持ちで捨てた食べ物を、ルンペンが申し訳なく拾う。
だから我慢できる。だから捨てる前に頂いてはならねーんだよ。
無言制約ってところかな。」 

ズーさんの話を聞いて私はまだまだ人間が未熟だなーと
感じました。 

 その夕方姐御に呼ばれました。
  「夢、ずいぶん人間修行が出来たようだなー、
明日からやらなくてもいいよ。お前旅か好きだって言ってたなー
どうだ七日ほど旅に出ないか。 

 実はなー、ズーこうの子供が長い間、胸患っているらしいんだ。
それでな、ズーこうに頼まれたことにして福島市内の専門病院に
入院させてくれないか、費用は私が持つよ。」 

そんな訳で福島へいくことになりました。
   続きはルンペン2へ。
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